皆さんこんにちは!都市伝説やスピリチュアルの記事を書いている大学生の「ふじ」です。
47都道府県の都市伝説を調査していて新潟県の番がやってきました♪
新潟県と言えば、佐渡金山があり日本を豊かにしてくれたり、有名な戦国武将の上杉謙信もいますよね!
そういうわけで、今回は新潟県の都市伝説についてまとめてみました!
盛りだくさんで書いているので、是非最後までご覧くださいね。
他にも都道府県の都市伝説をまとめているので、気になる方は是非チェックしてみてください♪
北海道:北海道
東北:青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県
関東:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県
中部:富山県、石川県、福井県
佐渡金山
佐渡金山は江戸時代から明治時代、そして平成まで活躍した長い歴史のある金山です!
昔の日本は金がよく取れたけど、今はそのようなイメージがなかっただけに平成まで操業していたことが意外ですね…
ここから佐渡金山の簡単な歴史と都市伝説をご紹介します♪
佐渡金山の歴史
先程も言った通り、佐渡金山は江戸時代から平成にかけて使われてきた金山です。
そして採掘施設や製錬施設などほとんどが国の重要文化財や史跡・近代化産業遺産に指定されています。
そんな佐渡金山は1601年に山師の3人が開山したと伝えられています。
2年後の1603年には江戸幕府直轄の天領として金を掘り出し江戸幕府の財政を支えたすごい金山です!
明治に入ってからは西洋の技術を取り入れて機械化・近代化してより効率的に金の採掘が可能になりました。
明治22年の1869年は皇室の財産となって日本の近代化に貢献しました。
明治29年の1896年には三菱合資会社に払い下げられて、日本最大の金銀山として発展しました。
平成になって資源が枯渇してしまったため400年近くの歴史ある佐渡金山が操業を休止してしまいました…
2010年にユネスコ世界遺産暫定リストに記載されてから、世界遺産候補と言われて期待されています!
1601年:開山
1603年:江戸幕府の天領
1869年:西洋人から機械化を学び近代化する
1889年:皇室の財産になる
1889年:三菱合資会社に払い下げされる
1989年:操業停止
金鉱脈(東西) | 3,000m |
金鉱脈(南北) | 600m |
金鉱脈(深さ) | 800m |
産出量(金) | 78トン |
産出量(銀) | 2,330トン |
総延長 | 約400km |
最大の金銀山として長年日本を支え続けてくれていたんですね!
佐渡金山の公式サイトはこちら。
佐渡金山の都市伝説
長い歴史があると言うことが分かりましたが、どのような都市伝説があるのでしょうか?
残念ながら大きな都市伝説はないようです…
しかし、面白い記事を発見しました。
佐渡金山とフリーメイソン
フリーメイソンって佐渡金山となんの関係があるの?と思いますよね。
佐渡金山を話すためには佐渡島が重要です。
金がとれる佐渡島はもちろん海外にも目が留まります。
実際に日本は黄金の国ジパングと呼ばれるくらい金が取れるため、海外の人はこぞって一攫千金を狙って日本に来ていました。
しかし、本土に行くには途中で休憩したい&攻撃されたくないということで、お試しで金が取れる佐渡島に流れ着きました。
流れ着いた人はもちろん金の採掘のために来ているのですから、石を加工する能力があります。
つまり石工職人だったのです。
石工職人とい言えば、フリーメイソンですよね。
フリーメイソンは16世紀後半から17世紀初頭に誕生したと言われていて、力をつけて明治になってから佐渡島にやってきた可能性があります。
歴史に記録されているよりも前に来ていた可能性もありますね!
こちらの記事を参考にして考察しました。
上杉謙信
上杉謙信は戦国武将の中でもかなり人気のある人物ですよね!
甲斐の虎・越後の龍と呼ばれ、武田信玄とライバル関係だったようです。
そんな上杉謙信の歴史と都市伝説をご紹介します♪
上杉謙信の歴史
上杉謙信は生涯を通して70戦をしたにも関わらず、勝率は9割以上とされていて「軍神」「越後の龍」と呼ばれて尊敬されていました。
加えて、敵だとしても困っている人には手を貸す人情深い性格のようです。
上杉謙信の有名な歴史を年表にしてご紹介します!
1530年:1月21日誕生
1543年:元服して平三景虎と名乗る、三条城と栃尾城の城主になる
1544年:初陣
1553年:武田信玄との戦い(第1回川中島の合戦)
1555年:第2回川中島の合戦
1557年:第3回川中島の合戦
1561年:第4回川中島の合戦
1564年第5回川中島の合戦
1573年:越中を平定
1578年:死亡
武田信玄との戦いの他にも北条氏との戦いや能登半島へ出兵したり多くの戦をしてきました。
上杉謙信の都市伝説
上杉謙信の都市伝説のご紹介をします!
①死亡理由はトイレで力んだから
②実は女性だった
①
関東大遠征の直前に脳溢血で死亡とされているため、何らかの病気で突然死してしまったのかな?と思います。
※脳溢血:脳内の血管が破れてその血管から流れ出血液が脳内の神経細胞を圧迫する状態
しかし、実際は寒い日にトイレで大をして力んで脳溢血になり死亡したと言うのです。
かっこいい戦歴とは裏腹に意外な死ですね…
当時のトイレは外にあり、冬はとても寒かったでしょう。
特に新潟県は豪雪地帯として有名なのでその寒さと雪は格別です。
今の時代のように便秘の薬などなかったと思うので、寒くて狭くなった血管が力んだことで敗れてしまったのですね…
②
実は上杉謙信女だった?という都市伝説があります。
女と言われる根拠
・上杉景勝の叔母
・婦人病
・民衆の間で上杉謙信=女ということを示唆した歌が流行った
・肖像画や手紙に女性的な表現が多くみられる
スペインのとある修道院から日本について記された文章が発見され、その文中に上杉景勝の「叔母が開発した佐渡金山を所有していた」と書かれています。
上杉謙信は戦中に原因不明の腹痛に襲われることがたびたびあり、その腹痛は生理だったのでは?と噂されています。
生きていた当時は戦に出るのは男というのが常識で女性はそのような場所にいてはいけないとされていました。
そのため、女性であることを隠して男性として振舞っていたのでは?という都市伝説が広がりました。
黒姫伝説
新潟県に伝わる黒姫伝説をご紹介します♪
とある城主に黒姫という美しい女性がいました。
黒姫に一目ぼれした大沼池の黒龍が結婚を申し込むも「人間ではないものに娘はやれない」と黒姫の父に断られてしまいます。
諦めきれない黒龍は何度も黒姫の元へ通いました。
そんな姿を見て黒姫の父は黒龍を試すとみせかけ罠を作り騙します。
それに怒った黒龍が大嵐を起こして城下町をぐちゃぐちゃにしました。
黒姫は勝手にそんなことをした父への怒りと町民の思いを受け取り黒龍と生きる決意をしました。
それから2人は山上の池で暮らし始めたとのことです。
その山は黒姫山と呼ばれています。
他にも、黒姫が自害する物語や水害に苦しむ町民を助けるために黒龍を退治する物語、黒姫地震が大蛇になる物語などが言い伝えられています。
まとめ
・佐渡金山とフリーメイソン
・上杉謙信はトイレで力んで死亡
・上杉謙信は女性説
・黒姫伝説
新潟県の都市伝説はいかがでしたか?
あくまでも都市伝説、考察という風に考えていただければ幸いです!
最後までご覧いただきありがとうございます!
読んでくれたあなたに幸せが訪れますように♪
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